震災と情報

昨日(2024/1/1)石川県能登地方で地震が発生。東京でもかなり長い間揺れた。どうしても3.11東日本大震災を思い出させる。

あの時、僕は宮城県のイオンモール名取に出張していて被災した。小売チェーンの出店のために、ネットワーク配線や監視カメラ設置を業者さんに指示する仕事だった。レジ機器(ノートPCやプリンター)の設置も完了、レジ機器の動作確認を業者さんに行ってもらっている間、バックヤードに戻った。そのときにグワンと揺れた。

すぐにはおさまらなかった。あまりの揺れに立っていられなかったし、小さな事務机の下に入り込んで机の脚を握りしめた。左右に2メートルは揺さぶられていたんじゃないかな。何分も揺れてた。

イオン内ではガラスの割れる音や悲鳴が聞こえたが、それより地鳴りなのか建物がきしむ音なのか、、大きな音が響いてわけがわからない。「このままイオンがつぶれて、自分も押しつぶされるのではないか」「家族はどうなる」といったことは頭によぎったが、思考している状態ではなく、「うぉぉおおお」と机の脚を握ぎりしめてるだけ。

数分後、揺れが比較的おさまってきたとき、工事業者さんとイオンの駐車場に避難。工事業者さんの車(バン)の荷台に入れてくれた。

外は急激に気温が下がり始めていて、避難した多くの人は寒がってた。車に乗ってた荷物保護用の毛布を近くの人に貸したりしてたけど限りがあるんで、みんな寒かっただろう。ケガしている人もいたな。上の階で作業していた人は1階にいた僕らよりもっと被害が大きかったと思う。

震災直後は電話がつながったので、妻とは安否確認が取れた。電話の充電はすぐに切れてしまった。

1時間くらいは駐車場にいたと思うが、誰かが「津波が来ている!」と言ってた。歩道橋に上がって海の方を見てたみたい。そうは聞いても、そのときはピンと来ていなかった。イオンモール名取と海の間に高速道路があり、それが防波堤の役割をはたしてくれていたようだ。かなり近くまで津波は来ていたんだ。

そこから、みんな避難所に移動するよう指示されたんだが、僕はホテルをすぐ近くにとってたから業者さんとは別れて一人でホテルに戻った。ホテルも玄関がめちゃくちゃに壊れており、電気も付かない。電信柱もほとんど倒壊しているから当然だ。

そこから2日~3日くらい(よく覚えていない)電気も水もガスも何もない状態で過ごしたが、ともかく情報が無い。

日中に区役所に行くと被災者が集まっているのだが、テレビでは「地震の大きさ」とか「原発が爆発しそう」とか、大枠のことを言っている。多くの人が「家族がいない」と必死に探しに来ている中、大きな情報はいらない。

かといって、携帯電話は充電できるところが限られていて、なかなか充電すらできない。

自衛隊が設置してくれた衛星電話で妻に連絡できたので、何とか帰る方法を探してもらったのだが、情報は簡単には見つからない。その間、名取にいる僕は何の情報もない。周りがどうなっているのかもわからない。

小売りチェーンの他の社員さん(出店準備のために来ていた店長など)は避難所に移動していたので、情報交換したが、みんな情報などない。

イオンモールさんが食べ物を100円で売ってくれるという話を聞きつけて、何時間も待って買わせてもらったくらい。

3日後くらいに妻が山形に宿をとってくれた(それも大変だったらしい)。「仙台駅から山形までバスが出ているらしい」という情報があったそうだ。

意を決して歩いて仙台駅まで向かうことにした。今調べると13Kmくらいあるらしい。いま思うとどうやって方角がわかったのか不明だが、たぶん電車道に沿って歩けばいいと思ったんだろうな。

何時間か歩いたか、、、道幅が広くなってきた。そしたら、普通にタクシーが走ってる!?名取ではすべてのものが止まってたのに。車も動いていなかったし、電気・ガス・水道なにも機能していなかったよ。

僕はタクシーをつかまえ、仙台駅に移動。そこはほぼ普通の日常。開いている店もある。車も走っている。愕然としたね。数Km離れただけで、こんなに違うか、と。

数Km先の名取では、誰も何の情報も分からず右往左往しているのに、だよ。

そこからは普通にバスで山形に行けて、山形空港から飛行機が飛んでた…。

まぁこの体験から「情報」というものに対する感覚は変わったね。まず、大震災などが起きたとき、大きな情報やお悔やみ、ビジネス情報なんかはいらない。ただ、ネットにあげるなら身近な情報がいい。「これが美味かった」みたいな。それを見れば、「そこまで行けば店が開いているのか」とわかる。

とはいえ、そもそも電子機器は使えなかったからね。震災のとき「Twitterが役立った」とか言ってる人いるけど、ネットなんて見れなかったし、充電できなかったもんね。

僕は妻に衛星電話で連絡できたから、何とか助けてもらえたけど、1人だったらあと1週間は現地にいたかも。右も左もわからないから、動けないんだよ。仙台がどうなっているかもわからないのに、確保(占拠)している宿を捨てて歩き出そう、とはならないでしょ。

テレビも「原発が爆発しました!」とか「津波が!」とかばかり流してたようだけど、知りたいのは普通に「仙台駅の周囲の映像」とかだよ。

情報以外に必要だったものを2つ挙げると、1つ目は「現金」。電子機器は一切使えないから、頼りになるのは現金。スーパーもコンビニもタダではモノをくれない。自分たちも何も持っていないんだからね。

「どこどこが被災地にタダで配っています」みたいなニュースは、余裕が出てきてから、マーケティングとして行っているだけ。本当に被災している場面ではお互い被災者。タダではくれないよ。

あればよかったのは「マルチツール」。ナイフとかペンチとかが一体になっているサバイバル用のツール。缶詰とかリンゴとか手に入ったけど開けたり剥いたりするは難しかった。だから今はLEATERMANのツールを2種類持ってる。

というわけで、SNSで「いい人ぶった発言」とかするより、日常の風景をアップしてください。では。

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