パチンコ会社で働いてた話

30歳前後の約2年間、某パチンコホールの本社で働いていた。
もう20年くらい前の話になるな…。
入社するまでパチンコはやったこともなかったし、この会社を辞めてからパチンコ屋に行ったこともない。
そんな僕の体験を書いておきたい。

パチンコホール会社に入るきっかけは、カッコつけて言えば「引き抜かれた」から。

それまでは、いまでいうSES(システムエンジニアリングサービス)にいたんだ。
当時はSESという用語はなかったと思うが、いわゆるITエンジニアの常駐派遣会社。
僕も最初は何社も常駐したが、2~3年後には社内で受託開発をやっていた。
ここらへんについては、別途記事を書こうと思う。

ともかく受託開発でPLやSEをやっていたときにパチンコホールのシステム開発したんだ。
僕はPL兼SEとして要件定義や設計、顧客対応を中心に行ってた。
プログラマーは2人ついてたな。

受注したシステムは「売上分析システム」。
単純に集計するだけじゃなく、「島図」を管理できるんだ。

パチンコホールを知らない人は「島図」がわからないと思うけど、
パチンコ屋に入るとパチンコ台が6台(向かい合わせで12台)くらいが
1つの固まりになっているよね、、それが「島」だ。

島と島の間が通路になっている。

店内の島の配置をExcelで作って、どの島にどのパチンコ機種が置いてあるかを
書き込んだのが、「島図」というわけ。

僕が受注したシステムは、単純に店舗ごと機種ごとの売上も出るけど、
島図(Excelファイル)をアプリケーションの画面上に取り込んで、
マウスでクリックすると、売上とか回転数とか見れるものだった。

この分析システムをメンテナンスしてほしいし、他のシステムも作ってほしいということで
当時、顧客だった情報システム部の部長から声がかかって、転職したんだ。

その際もいろいろあったけど、早くパチンコ屋の話に移ろう。

その前にパチンコ業界の基本的な構図を知らない人に解説するね。
パチンコホールとパチンコメーカーは違う。
パチンコメーカーはパチンコ機やスロット機といった「遊技台」を開発するメーカー。
ホールはパチンコ屋を経営する方。
メーカーの方がホールより圧倒的に立場が強いんだ。

僕が勤めたのはホール側で、当時売上規模で日本上位の超大手だった。
情報システム部の課長として入った。
給料は900万近くはあったと思う。

なぜ正確に給料も記憶していないのか?
それは、、死ぬほど働いてたから!
記憶が定かじゃないんだよ。

いくらでも働かせる会社だったし、僕も若かったからやる気もあったし、
「課長」の肩書もうれしかったのかな、、お金ももらってたし。

ともかく通常勤務中は本社や200を超える店舗のサポートが中心。
「システムがおかしい」「ネットワークがとまった」「FAXがとまった」
「ホールから定時の売上が送られてこないから電話しろ」
課長だから、各部との会議にも出てた、よな。

定時後が本番の仕事。
開発案件やデータ分析を進める。

部長のところにはオーナー一族からの内線が入ってくる。
「会長が〇〇のデータを欲しいと言っている。これから毎日出るようにしてくれ」となれば、
そこから速攻、開発だ。
もちろん、「いつまでですか?」なんて聞くのも愚問だよ。
「なるはや」「今日の夜まで」となるだけだ。

一段落したら、吉野家とかで夕飯。
この頃には勉強兼ねてパチンコ屋にいくことも多かったから、
会社の人とパチンコに行くこともあったな。

そこから、会社に帰って、夜の締め作業のときもある。
パチンコホールは11時に閉店するんだけど、それから売上集計するんだ。

パチンコホールには「ホールコンピューター」通称「ホルコン」と呼ばれる専用パソコンが設置されている。
ホルコンには店内の全機種の回転数とか入った玉、出た玉の数などが随時記録されている。

ここからデータを定期的にCSV形式で出力して、メールで本社に送るのが
店長の大切な仕事。
14時、18時、締め後、くらいのタイミングだったと思うな。
すべて手動なので、店長が忘れることもある。

当時はRPAなんてもちろんないし、ホルコンをいじることもできないから
すべて手作業しかなかった。

特に締め後に忘れられると大変だから、数人でホルコン情報を送ってきてない店舗に
電話をかけまくるんだ。
なにしろ、200店舗以上あるからね。

当時はVPNもなかったから、常時ネットワークが繋がってるなんてことはない。
全部メール。
いや、一部フリーのVPNもあったな、、ここらへんもまた書こうかな。

そして、数十店舗はFAX。
ホルコンが古くて紙でしかデータが出ないから。
その店舗からはFAXを受けて、Excelに転記するという作業が待っている。
FAXも20台くらいオフィスに並んでて、、たまに壊れるんだよな…。

ともかく、急がないといけないから、人力でデータを集めるんだ。

なぜ、時間がないのか?
それは「オーナー(会長)が出社するから」に決まってるやん!

会長は夜中の1時くらいに、どでかいベンツで出社してくる。
それまでに、全店のデータを集めて、僕が開発した売上分析システムにデータをぶち込む。
そして、超細かい文字がA3にびっちり詰まった特殊な帳票を吐き出す。
全店合計と各店舗分。

店舗の並び順は店番順じゃなくて、地域別だったかな。
手作業で並び替えてた覚えがある。
だから、ベテラン社員は全部の店番を記憶してて、早く作業できるようにしてたな。
僕も覚えてた。
間違えたら大変だからな…。

その紙の束を提出したら、ひと段落だ。
夜中の2時くらいには終わってたな、たぶん。

僕が売上分析システムを作って、引き抜かれた意味がわかったでしょう。
売上分析システムを随時改修できるし、データベースの読み書きも直接できるからね。
ともかく、すべて「今」やらないといけないから、
いちいち外部業者である僕に連絡とってられなかったんだね。

仕事のルーチンに話を戻すと、
夜中2時くらいから他の社員と「笑笑」とかに飲みに行って、
4時前くらいに仮眠室で寝る。

朝起きたら、そのままオフィスに行って、同じように仕事が始まる。
このループ。

土日も年末正月もほぼ同じ。
正月なんてパチンコ屋の稼ぎ時だから、特に仕事があったな。

で、最終「次長」かなんかに出世したけど、
色々積もってキレて辞めた。

辞める前の話だけど、こんな仕事してる中、結婚して
(それでも忙しすぎて一度入籍するのを止めたんだけど)
ハワイに1週間行ったんだ。

よく1週間休めたな、、ぐれてたのかな、そのころ既に…。
そして、お金はあったんだよな。
使う暇なんてなかったから。

で、ハワイでのんびりしてると、バカのように働いてるのが、
それこそバカのように思えて、帰ってきて、「辞めます」と。

結婚して早々無職になった僕。
書いてて、頭おかしい奴だな…。

むちゃくちゃな体験だったけど、今は2点思うことがある。

1つは、「今ならもっと上手くやれてただろう」ということ。
やはり若さ、虚栄心、金欲しさ、いろんな欲望があって、取り込まれたし
自分自身を追い込んでた部分が大きい。
自信もなかったんだろうな。

もっと仕事をコントロールして、開発や自動化に力を入れて、
日常の作業は断わっていればよかったんじゃないかな。
う~ん、、ダメだったかな。。

もう1つは、「なんだかんだで成長したな」ということ。
必死で働いてたから、システム開発、データベースにも詳しくなったね。
「遊技台管理システム」っていう別のシステムもあって、
これまたややこしいのがあるんだよ。
長くなるから、やめておこう…。

SAPやデータウェアハウスも導入するのに立ち会ったし、
仮想クライアントも入れた。
仮想サーバーのために20台くらいのブレードサーバーをオフィスに設置したな。
床を鉄板で補強したりして。

人事システム、経理システム、倉庫管理システム(WMS)、、
いろいろなシステムにも関わった。
必要となれば、数千万という予算も通るし、仕事はやりやすかった(笑)。

前のSESでバリバリの開発者を引き抜いてきて開発チームも作った。

売上が何千億もある企業の情シスの役職者だったから、金と権力があった、、のかな。
きつかったし、頭おかしくなってたし、太ったし、ハゲた。
でも、若さゆえのむちゃが効いて、成長した部分があったと思う。

だからと言って、戻りたいとは思わないけどね。
ここでは書けないようなこともたくさんあったよ、そりゃ。
社内に怒号が響き、オフィスに街宣車が横付けして業務を妨害し、、
なんて普通の話。

この記事では問題のない明るい話をちょっと書きました。
もっと詳しい話はPremium会員向けに書こうかな。
では。

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